| — | 鳥山仁さんのツイート |
「過度な自分語りや創作語りをし始めたら作れなくなるサインだ、気をつけろ」的なツイートを見かけたが、そもそも創作行為は大変なので(何を語ろうが語るまいが)できないときはできないだろうし、気軽になんでも語ったらいいじゃんね…と思った。創作者さんの自分語りや創作語り、私は興味深いよ…。
インターネット、特に最近はバンバン作品をあげまくって成功してる華やかな方々が目立つので、どうしてもそこに基準を合わせて「自分はだめだなあ」と感じてしまう方もいるかもしれないが、創作のペースやプロセスってほんと人それぞれだし、あまり「こうあるべき」と強迫的にならない方がいいと思う。
ていうか「最近は作品を作ってない人」を「作れなくなった人」と断ずることに、なんか残酷なものを感じてしまい抵抗がある。返す返すも創作はエネルギーを食うので、何か作ったらしばらく作れなかったり、長いチャージが必要だったりすることは普通にあるでしょ…?と思うし。
元話は消えたから読めてないが、前々から「貴公の論旨には賛同できないが、その怒り/悲しみ/恐怖にはまったく同情する」というスタンスをもう少し持てないもんかな、とは思う。というか論理が間違っていたら元になった/派生した感情まで「間違い」と断罪するの、自称理性派の悪い癖だと思うてる。
「お前のやり方が間違っていたのだからその感情も見当はずれ」と感情自体を否定して袋叩きにするのと、「まぁそりゃツラいわな。やり方が間違っているもの」と因果と感情を分離して片方を否定する(あるいは正す)のと、果たしてどちらが「反応」として当人にも世にも資するかな、というお気持ち。
つうかさ、「感情」に正しいも間違ってるも無いのだよな。それに生理現象として留めようがない「感情」を「それを抱いたこと自体が間違い」と言われて反発しない人間はおらんのだよ。感情を生んだ論理の方に間違いがあり、正されるべきものがあったとて、遡及して感情まで否定せんでもよかろうに、と。
| — | 星崎連維(れん)さんのツイート |





